【2月22日は猫の日】愛猫に手作りのプレゼントをしてみませんか?

2月22日は何の日かご存知でしょうか?

愛猫家でしたらご存知の、「猫の日」です!

猫の鳴き声にゃん(2)にゃん(2)にゃん(2)が由来となり、1987年に猫の日実行委員会がペットフード協会と協力し定められました。※1

猫の日に何をする?

特別何かをするという決まりはありませんが、愛猫が喜ぶことをしてあげれば何でもOK。

毎日、毎日、愛情たっぷりに可愛がられている方がほとんどだとは思います。しかし、いつも側にいてくれる存在だからこそ、いつもの100倍の愛情を注ぐ勢いでご奉仕しましょう!

求められるがまま永遠に撫でたり、ダイエットを(計画的に)小休止して大好きなおやつをあげたり。新しいおもちゃをプレゼントしたり、そして、おもちゃ本体より箱が喜ばれるあるあるを見てニヤニヤしちゃったり。

突然の、短編小説風コラム

さて、突然ではございますが、何を隠そう私は大の猫好きで。今は飼っていないのですが、休日さえあれば猫島や猫カフェに出かけています。

そんな猫好きライターの端くれとして、今回は「猫×工具」にまつわる短編小説を書かせていただきました。需要がなかったらすみません、しかし、この想いを抑えきれませんでした。

猫好き、工具好き、小説好きの方は、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

「海岸の猫」

 にゃん、にゃん、にゃんの日に、工具セットと木材を目の前にして気合を入れた。今日は有給休暇を取って、愛猫に手作りのプレゼントをしてやるんだと息巻いているのだ。
 私は、小さい頃から物作りが好きだった。ちょっとした家具を作るくらいはお手の物、友達に頼まれて作ることもあるほどだ。このDIY好きが高じて、今努めているのは工具屋さんだ。海沿いにあり、アメリカ西海岸を思わせるおしゃれな看板が目印のお店である。
 お客さんからは「女の子なのに珍しいね」と言われることも珍しくないが、そんな時は、「今の時代、DIY女子もバイク好き女子も珍しくないんです!」と、心の中でこそっと叫び、ニコニコ笑顔を返している。

 話は逸れたが、私は今からトンテンカンテン、工具を操る女子となる。
 「完成するまで待っててね、ウミ子」
 隣の部屋に隔離をしている、襖越しの愛猫に話しかけて、私のDIYは始まった。

 

———ウミ子に出会ったのは、秋風の心地よい日の休み時間だった。

 海辺のベンチで休憩をとっていると、「にゃん、にゃん、にゃん」という子猫の鳴き声がした。振り返ると、茶トラ柄の子猫が私に向かって何かを訴えている。その子は、幼少期に実家で飼っていたサト子とそっくりな模様をしていた。
 よしよしと頭を撫でようとしたが、子猫は牙を向け、私はすぐに手を引いた。すると、子猫はまた「にゃん、にゃん、にゃん」と鳴くのだった。
 何のことはない、私に撫でて欲しいのではなく、膝に乗せているお弁当の中身をくれと叫んでいるだけなのだ。気安く撫でさせはしないが、餌をくれという意思表示。なんとわがまま可愛いのだろうか。
 「こちらこそご飯を分けさせておくれ」という気持ちになった私は、デザート用に持ってきた、味付けなしの蒸したさつまいもをあげた。
 一心不乱に食べている子猫を見つめながら、ひとつの心配事が浮かんだ。この子はお母さん猫と離れてしまったのだろうか。そして、全身をじっくり見てみると、いくつもの傷が目についた。子猫がお腹いっぱいになったときには、私の心配は何倍にも膨らんでいた。

 それからというもの、子猫のことが気になり仕方なかった。休憩時間にこのベンチに通う日々が続いたが、子猫に会えるのは3日に1回ほど。いたとしても、他の人に撫でられている姿や、後ろ姿を一瞬だけ見かけるような日もあった。それでも、無事を確認できるだけでもホッとする。それでも距離は、少しずつ縮まって、今ではたまに撫でさせてくれるほどの関係にはなれた。それと同時に、このまま放っておいていいのか、私の中で葛藤が大きくなっていることにも気がついていた。
 仕事からの帰り道。頬を伝う風が、冷たく、少し痛かった。もうすぐ冬がやってくる。

 ネットで調べたところ、野良猫の寿命が家猫とくらべ何年も短いことを知った。あの子は未だに身体が小さく、十分な栄養を摂れているようにも見えない。越冬を迎えるのはおそらく初めての経験だろう。

 「野良猫には野良猫の幸せがある」と諭す私と、「安心して暮らせる幸せを与えてあげたい」と思う私が戦っている。わかっている、一方は私のエゴでしかないことも。

 数日後、台風がやってきた。テレビをつけると、アナウンサーが沿岸部から避難を呼びかけていた。居ても立っても居られなくなった私は、ダメなことを知りつつも、家を飛び出して海岸沿いのベンチへ向かっていた。LEDライトで辺りを照らす。ベンチや、その周辺を見渡したがどこにも姿がない。このとき私は、あの子の居場所がベンチの他にどこがあるのか知らないことに気がついた。安全な場所に逃げられてたらいいのだけど。
 びしょ濡れになって自宅に戻る。再びテレビをつけると、各地の台風被害の様子が延々と流れていた。例え雨風が凌げる物陰に隠れられたとしても、怖くて震えているのではないか......頭から子猫のことが離れない。

 台風が去ってから2日後、いつものようにベンチに行くとそこに子猫の姿があった。これまで以上の安堵につつまれる。私の心配を他所に、何事もなかったかのように近寄ってくる。「私の家に来るかい?」と尋ねると、「いいよー」と返事したかのような鳴き声を上げた。わかっている、これも私のエゴだということを。ふと首の横を見ると、今までにはなかった新しい傷ができていた。台風によるものなのか、別の理由なのか、私には知る術もない。ベンチ以外の居場所も知らない、傷の理由も知らない、この子にとっての幸せが何なのかもわからない。それでも、私は行動に出た。

 その日から、昼休憩と仕事終わり、休日を使って、周辺のお店や住民たちを訪ねて回った。あの子猫が普段どこにいて、どのような暮らしをしているのか。母猫はいるのか、友達猫はいるのか。もしかして、どこかの飼い猫ではないか、地域猫ではないか、あらゆる可能性を知るために、徹底して聞き回った。

 わかったことは、あの子猫は正真正銘の野良猫。半年ほど前に姿を表したが、そのときにはすでに一人きりだったそうだ。そして、周辺の猫にも馴染めず、複数の傷は縄張り争いで一方的につけられるものだということもわかってきた。そして、先日、近所の猫嫌いのおじいさんが保健所に連絡をしていたことも......。

 後日、保健所に相談に行き、私が責任を持って飼うことの了承を得た。そのことを、情報を教えてくれた人たちに報告に行くと、「そのほうがいい、可愛がってあげるんだよ」と温かい声をかけてくれる人たちばかりだった。
 そして、今のマンションはペット不可だったので引っ越しも考えていたのだが、大家さんに事情を説明したところ、子猫と会えることを条件に、「今日からこのマンションをペット可にします」との許可をもらった。ちょっと古いけど、安くて広め、DIYもOKだったこの部屋から出ていかなくてよいとわかった私は、喜びのあまり大家さんの前で涙を流してしまい、何度も感謝の気持ちを伝えたのだった。

 翌日、猫用品の買い出しに向かう私の足取りは軽かった。昔飼っていたサト子が好きだったアイテムを参考に買い揃えていく。冬のボーナスに期待はできないが、私の財布の紐はがばがばだった。そして、あっという間に準備は整った。

 私はキャリーを持ってベンチに行った。すると、ベンチの上で気持ちよさそうに寝ていた。待ってくれていたのだろうかと、都合のいい解釈をした。私はとなりに座り、起きるのをじっと待っていた。太陽の暖かい光が降り注いではいたが、ときおり吹く冷たい風は冬の到来を感じさせるには充分だった。

 20分ほど経っただろうか。子猫が目を覚ますと、特別なリアクションもなくおとなしく私をじっと見つめてきた。「私の家に来るかい?」と尋ねると、にゃーと鳴き声を上げて私の膝に乗ってきた。「いいよー」と言っているような気がするし、これは私のエゴではないのかもしれない。その想いが間違いではないと証明するかのように、キャリーの扉を開けると、子猫は自ら中に入っていった。

「名前をつけてあげないとね、そうだ、海の側にいたからウミ子はどう?」
 子猫は少し間を置いて小さく鳴いた。心なしか、さっきの返事より張りのない鳴き声ような気もしたが、この子はもうウミ子だ。私は自分のネーミングセンスにだけは確固たる自信を持っている。サト子の名付け親も私、里親でお迎えしたからサト子。その結果、すくすくと育って、16歳まで元気に長生きしたのだから。

 扉を閉じた時に、ウミ子がもう一度にゃーと鳴いた。今度は、「やっと連れてってくれるのね」と呆れた声で言っているような気がした。私は「後悔はさせないよ、幸せになろうね」と話しかけ、キャリーを持ち上げた———

 

 あの日から3度目の冬を迎えている。今のウミ子が幸せかどうかはわからないけど、たまに膝に乗ってくれるし、たまにゴロゴロ喉を鳴らしてくれるから、そこそこは満足してくれてるのでは?と自分では思っている。これが私のエゴかどうかは、1度目の冬を超えた頃には考えないことにした。

 私がいる、隣にウミ子がいる。二人とも健康で、ご飯をもりもり食べて、夜遅くまでおもちゃで一緒に遊び回る。それが答えでいい。

 そして、今日は2月22日の記念日。1年目のプレゼントは、お魚のクッションとネズミ型のラジコンだった。その時はまだ、以心伝心とまではいかず、ウミ子の心を掴むことはできなかった。おもちゃに反応してくれず、プレゼントを包んでいた袋の紐で、夜中まで跨ぐまで遊んでいたことは、一生忘れない。

 2年目のプレゼントはふかふかのベッド。この時は、かなり意思疎通がとれていたので、自信があった。思惑通り、ウミ子はベッドに向かって、一目散に飛び込んでくれた。その日から、ウミ子はベッドと一体化する日々を過ごすことになる。しかし、半年が過ぎた頃、ウミ子は突然ベッドに見向きもしなくなった。何がきっかけか今でもわかっていないが、部屋の片隅にぽつんと佇むベッドを横目に寂しい思いをしたものである。

 そして、今年。もはや以心伝心、私の分身なんじゃないかと思うほどウミ子の気持ちが手に取るようにわかるようになった。
 1ヶ月前にウミ子が私に放った渾身のにゃー!は、「キャットタワー新調してくれー」だ。間違いない。それまでも、小柄な私の背丈と変わらない低いキャットタワーはあったのだが、すくすくと育ち立派な成猫となったウミ子にとって、今のタワーはもはや台座程度の存在だ。
 度々、冷蔵庫や本棚に登ってはにゃーにゃー鳴くものだから、あの渾身のにゃーは「(いいかげん)キャットタワー新調してくれー」で確定だ。

  私は慣れた手付きで、工具を操り、木材を切っていく。支柱や足場となる天板を次々と揃えていき、インパクトドライバーで手際よく組み立てていった。天井の高さ丁度に立てかけられたキャットタワーの支柱に、爪とぎを巻きつけて完成。なぜ今まで作らなかたのか、再び反省してしまうほど、あっという間に出来上がったのだった。

 隣の部屋のふすまを開けた。待ちくたびれたウミ子が、私のベッドの上ですやすや眠っていた。完成したキャットタワーをすぐに見て欲しいと思う気持ちもあったが、私はウミ子の横に座って起きるのを待った。呼吸の度に膨らむお腹と楽しい夢を見ているような寝顔を見ているだけで、愛おしくたまらない気持ちになった。

 

愛猫に手作りのプレゼントをしてみませんか?

猫と飼い主は、お互いが幸せを分け与える存在。どちらか一方の押しつけではありません。毎日一緒に過ごしていれば、言葉がなくても自然と伝わる感情が出てくるものです。と言いつつも、いきなりツンツンしたり、デレデレしたり。何を考えているのかさっぱりわからない時もあるのが、これまた可愛くて、愛おしい。

そんな猫ちゃんへのプレゼントは、トライアンドエラーの連続。小説の中では「欲しい物がわかる」と書きましたが、正直、渡してみるその瞬間まで、喜んでもらえるかわからないことがほとんどではないでしょうか(チュールの安定感は例外)。

そして、手作りプレゼントは、猫ちゃんだけでなく大切な相手に対して素敵な愛情表現のひとつだと思います。もちろん一方的なものではなく、相手も作ってくれたことへの愛情を感じ取ってもらえるような関係があってこそ。モノも愛情も、時間をかけていくことで、育まれていきます。

キャットタワーの他にも、キャットウォークやケージ。専用の小さな出入り口等。DIYで作れる、猫ちゃん用のプレゼントはたくさんあります。次の記念日に、手作りのプレゼントをしてみてはいかがでしょうか。

1 沿革"ペットフード協会公式サイト" 2022.02.22参照 https://petfood.or.jp/outline/history/index.html

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